プロフィール

東京都調布市の女性税理士 淺井有子と申します。
信託銀行の総合職を経て、税理士になりました。
資産税業務・法人税業務・所得税業務・国際税務(外資系企業)等を経験してきました。
自分に出来る事を精一杯して、私も少しでも、人様のお役に立ちたい。
そんな思いで開業しました。
好きなこと
・木々や草花を見ること
・川や海を見ること
・笑顔の人と会話すること
・素朴で誠実な人の生き方を知ること
苦手なこと
・マウント(するのも、されるのも、見るのも。)
・悪口(言うのも、言われるのも、聞くのも。)
・怒鳴ること(するのも(←余りないですが…)されるのも、見る(聞く)のも。)
・立食パーティー(パーティーそのものは華やかで、嫌いではないのですが…その場にゲストとして居るのは、どうしていいかわからないので苦手です。何か役割があるほうが気が紛れます。)
尊敬する人
マザーテレサ、マキシミリアノ・コルベ神父、ガンジー、ハン・ユヌス氏、ホセ・ムヒカ氏
趣味
税理士の勉強を始めてから、仕事をし、退職するまでのここ20年ほどは、正直趣味と言える趣味は持てませんでした。(忙しすぎたので…。)ですので、主に過去やってきた事について記します。
・洋裁
一枚の布が洋服になって使えるようになるのが面白く、高校生の頃自分でズボンを見よう見まねで作りました。(パターンが滅茶苦茶で穿き心地が悪かったです…)大学時代は貧乏学生で、一枚型紙を作って作り方を覚えれば、色違いで何枚も服を安く作れると思い、先生に習いに行ってスカート・ワンピース等を作りました。今思えばその先生からは、星留めやバイアスに裁った裏地を使った手縫いの裾纏りなど、実に細かく美しい作業を教えて頂きました。(社会人になってもう一度習いに行きたくて探しましたが、残念ながら廃業されていて見つかりませんでした…。)
・編物
母方の祖母はいつも手編みをしていて、父方の祖母は機械編みをしていました。その影響か編物にも興味があり、祖母に習って小物などを編んでいました。大学の頃は上記の洋裁の他、自己流で編んだセーター等も着ていましたが、私は手が緩いようで、大きく不格好になってしまいがちでした。社会人になってから編み物を先生に習いに行って、型紙を使ってピンで留め、スチームアイロンで形を整える…という方法(当時の生徒達は「アイロンマジック」と呼んでいました。)を習いました。私の不格好なセーターでも、それなりに収まり驚きました。
・絵
最近は全く描いて無いので入れていいのか判りませんが…子供の頃は漫画家になりたいと思っていました。最近の漫画は実に美しく、ワクワクするものが沢山ありますね。日本の漫画が世界で人気を博す時代が来るとは思っていませんでした。
・絵画鑑賞(好きな画家)
ミレー、フェルメール、ドガ、オディロン・ルドン、小磯良平、上村松園、田中一村、池永康晟 などなど
・クラシック鑑賞(好きな音楽家)
35歳を過ぎた頃から、それまで退屈だったクラシックに心を揺さぶられるようになりました。(それほど詳しいわけではなく、一般的によく知られた曲が好きです。)
ベートーベン、ブラームス、チャイコフスキー、シューベルト、ビゼー、ショパン、ドビュッシー などなど
・ピアノ
子供の頃短期間だけ習っていたのですが、その後習う機会を持たず…我が家のピアノは祖母の家に打ち捨てられたまま、祖母の家を売るのと同時に売却されてしまいました。実はこの趣味だけは、最近再開しました。ピアノと鍵盤が同じ重さの電子ピアノを買い、ヘッドホンをすれば夜でも早朝でも弾けるので、下手でも恥ずかしい思いをせずに思う存分練習することが出来ます。下手なんですが…生のピアノを見かけると弾きたい衝動にかられます。(人目があると途中で恥ずかしくなって、緊張して躓いて、逃げるように去るはめになるのですが…。)
・バスケット
ここまで文科系な趣味ばかり書いてきましたが、中学生の頃はバスケ部でした。練習は厳しく…その後、40代になって自分で始めたランニング(10㎞ほど)がめちゃくちゃ楽に感じられた程でした。あの厳しさに耐えた事は、その後の糧になったように思います。なお、50を過ぎた今でもバスケットゴールを見るとシュートしてみたい衝動にかられます…(笑)
経歴
信託銀行の総合職(10年勤務)を経て、キャリアチェンジのうえ、税理士になりました。私が新卒で働き始めた頃は、男女雇用機会均等法施行後数年で、世の中は男性は総合職、女性は一般職と二つにきっぱり分かれていました。総合職女性は、男性(=総合職)ではなく、また女性(=一般職)でもない…先輩も仲間も少なく、追ってくる後輩も居ない…(就職氷河期が始まっていました。)10年踏ん張って、結婚後失意のうちに退職しました。今思えば、当時の社会はまだ女性の扱いに慣れていなかったように思います。
その後、簿記を取り、近くの税理士事務所にパートで働き、英語を勉強し、外資系企業にパートで働いたりしました。この時帰国子女の方たちの語学力に接し、とても敵わない(当時のTOEICスコアは755点でした。)と思い、税務会計の道へ進むことにしました。
税理士試験を受け始めた時点で30代後半と遅いスタートでしたが、勉強自体は面白く、簿記論・財務諸表論・法人税法と合格しました。
その後大手税理士法人にパートとして勤め、資産税部門に配属されました。相続税・消費税を受験しながら仕事をしていましたが、50歳を超え、受験のパフォーマンスが落ちてきているのを感じるようになった頃、同じ会社の先輩から大学院への進学を勧められました。パンフレットを読むだけでワクワクするようなカリキュラムだったので、受験し進学しました。久しぶりの学生生活はとても楽しく、充実していました。
その後、中堅税理士法人にて法人税務を、外資系税理士法人で国際税務(外資系法人の税務)を経験しました。沢山の業務を経験させて貰えたのですが、いずれも勤務は大変過酷でした。半年に及ぶ繁忙期の間、休日出勤せねば仕事は終わらず、残業が月100時間を超えた事もありました。
この先も働いて行く事を考えると、体を壊しては元も子もありません。また、忙しすぎて勉強時間が思うように取れなかったことも悩みでした。もっと勉強して、お客様に直接自分のサービスをお届けしたいという思いが強くなり、退職し、開業することにしました。